印旛沼から花見川を越えて東京湾までの用水路開削工事は、2度の中断を経て水野忠邦が天保の改革の一環として三度再開することとなり、鳥居忠耀を責任者として駿河沼津藩(静岡県沼津市)、出羽庄内藩(山形県鶴岡市)、因幡鳥取藩(鳥取県鳥取市)、筑前秋月藩(福岡県朝倉市)、上総貝淵藩(千葉県木更津市)の五旛により江戸湾に水路を開削する印旛沼堀割工事が行われた。この時最難関区間は、忠邦が企図した三方領地替えを撤回させたことで、懲罰的な御手伝普請を庄内藩が強いられることとなった。
3度目の工事も忠邦の失脚とともに中断。昭和の時代に入ってやっと全通し、川沿いに新川・花見川サイクリングロードが併設されている。今回、庄内藩で疲労や病気で亡くなった19名が埋葬された墓地に寄り道し、併せて下流ではCR対岸の花見川右岸を走ってみることとした。早朝に自宅を出て、6時半過ぎに千葉ニュータウン中央駅をスタート。新川・花見川CRを使用して東京湾へ。最寄りの駅から戻ろうと考えていたが、まだ通勤時間帯だったことからこのまま自宅まで走って帰ることとして国道357号を西進し、江戸サイ瑞穂大橋には10時少し前に到着。花見川CRは渓谷の森林コースで暑さを感じることはなく、西進中も後ろから陽を浴びていたのでリュックで緩和され、暑さによる疲労感もなく快適に走行できた。
新川と花見川の間には分水嶺があり、東京湾への自然流下はできなかったことから、この開削工事は、江戸時代の知恵では無謀な工事だったようだ。掘っても崩れる泥炭な土壌には、庄内藩は大変な苦労を強いられていたことを思いながら花見川CRをありがたく使用させてもらった。いつの時代にも、バカな指導者の下で苦労する人が多いと思う昨今。かの兵庫県の知事やその側近(牛タンクラブというらしい。)が早く排除され、職員の皆さんが心穏やかに通常業務に戻れることを祈るばかり・・・。昔、そんな職場にいたような気もしないではないのは、気のせいかな・・(~_~;)
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